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平井和正氏がお亡くなりになったそうです。
悲しくてたまりません。
心よりご冥福をお祈りいたします。


我が家は、父親が大のSFフリークで、
SFマガジンが創刊号よりある、という家でした。
父の仕事の都合で転勤が多いせいで、
余分な荷物は持たない、本は図書館で借りる、というのが母の薫陶だったのですが、
そんな中でも父のSFマガジンだけは守り続けられました。

活字中毒で、本がない家で、最後は辞典をひたすら読んでいた私にとって、
父のSFマガジンは唯一の心のオアシスでした。
古かろうが難しかろうがどうでもいい、
とにかくお話が読めるというだけで至高の存在でした。
ずっと昔のバックナンバーからありったけ読みふけりました。

もちろん、子供が読むには不適当なものもたくさんあったのですが、
押し入れにこっそり隠れて読みまくりました。
初期のSFマガジンには、手塚治虫氏の「鳥人体系」などの漫画連載もあり、
小学生の私にトラウマを植え付けたりもしたのですが、
光瀬龍氏の「百億の昼と千億の夜」、筒井康隆氏「脱走と追跡のサンバ」など、
おもしろくておもしろくてたまりませんでした。
ああいう環境でなければ、昔の作品だから、と読まなかったかもしれません。
今考えれば、ものすごい豪華メンバーぞろいなんですけどね。

他にも、石ノ森章太郎氏作画、平井和正氏原作の「新・幻魔大戦」は、
強烈な印象がありました。
好きか嫌いかでいえば、それほど好きではないのですが、
目をそらせないインパクトがありまして……。
(これも、今では考えられないほどの豪華メンツ)

それが頭にあったせいで、古書店で手に取った平井さんの本の数々。
少年ウルフガイシリーズなど後期のものは、
宗教色が強くてあまり惹かれるものはなかったのですが、
初期の「狼男だよ」に始まるアダルトウルフガイシリーズは、
「ルパン三世」を思わせる洒脱っぷり。

そしてそして、なによりハマったのが、「悪徳学園」
この一冊の「犬神明」が、私にとっての平井和正であり、マイベストヒーローです。
(少年ウルフともアダルトウルフとも違います。
 アダルトウルフの性格を持った中学生が主人公。これ一冊こっきり。悔しすぎる)
おかげで、生涯の犬好き、狼好き、変身ヒーロー好きが植え付けられました。


平井和正氏と出会わなければ、
「幻獣降臨譚」も「狼と勾玉」もありませんでした。
本当に本当に寂しいです。
ありがとうございました。

どうか、安らかにお休みください。
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家へ入ると、じんわりと油の匂いが漂っていた。
どうやら揚げ物をしているらしい。
香ばしいけれど脂が濃い感じの鳥唐揚げなどとは微妙に違う、
もう少しあっさりした感じの匂い。
なにか野菜系を揚げているものとみた。
ポテトかな。いや、それほど重い感じもしないか。

コートをかけ、手を洗いに台所へと向かう。
思った通り、コンロの前には姉の姿があった。
パチパチと油が爆ぜる軽やかな音。
コンロの横、シンク台の上に置かれた皿には、
なにか薄茶色のころころとしたものがこんもりと。

「なにこれ?」
「挨拶は? 帰ったらまずただいま、でしょ。そんな子に育てた覚えはありませんよ?」
「おまえに育てられた覚えはないんだけど」
「へりくつ言う前にまず挨拶!
 親しい仲にも礼儀あり、挨拶は人間関係の潤滑油だって、何回教えたらこの子は---------」
「……ただいま」

オカンごっこをいつまでも楽しまれてはたまらない。
慌てて帰宅の挨拶を述べると、姉は満足したかのように、うむ、と偉そうに頷いた。

「で、なにあげてんの?」
「アーラーレーだよー」
まるで某有名ロボット眼鏡っ娘のような甲高い声で節をつけながら姉は答えた。

「あられ? あられって煎餅の小っさいみたいな、あれ?」
「煎餅はうるち米から作るの! 
 あられは餅米。どうせ間違えるんならせめてオカキにしときなさい」

見ると、シンク台の上には親指の爪大に細かく切られた白い粒がこんもりと載っている。
どうやら餅を細かく砕いたものらしい。
「それ、餅?」
「そ。今日は鏡開きだから」

そういえば今日は1月15日、小正月だ。

「いつもぜんざいとか雑煮ばっかりだから、たまには目先を変えてみようと思って」
「あられって餅から作れるんだ? というか鏡開きって今日か? 11日じゃないの?」

ちっちっ、と姉は菜箸を持った手を振る。行儀悪いな、おい。

「確かに関東地方は11日。
 だから、テレビ文化で広まって全国的には11日ってことになってるけど、
 もともとは15日。
 関西や他のところでは今でも15日ってところも多いし、
 中には20日ってところもあるの」

だいたい、こんなに細長くて気候も違う日本の文化を画一的に統一してしまうのはどうかと思うのよねー、文化的多様性というものが尊重できない社会というのは、閉塞的で衰退していくと思うんだけれど……
と始めた姉に慌てて声をかける。
ここらで話を逸らさないと後が長い。

「煎餅とあられが材料が違うのはわかったけど、おかきは何? あられとどう違うの?」
「大きさ」
というのが姉の端的な返事だった。

「大ききゃおかき、小さいとあられ。もっと大きければかき餅とも言うわね」
「かき餅、あ、なーるー」
 思わずぽんと手を打つ。おかきと繋がった。

「でも、酒のつまみには小さい方がいいから。だから今回はあられ」
やっぱりつまみなんですかいお姉様。

姉はからりとキツネ色に揚がったあられを鍋からあげると、
油取り紙の上へざらざらっとあけた。
その横には、すでにあられの入ったビニール袋が二つ。
視線に気づいたか、姉が解説する。

「少し冷ましてビニール袋の中で味付けすんの。
 片っぽがコンソメ味で、片っぽがのり塩」
粉チーズとガーリックパウダー味のも作ろうか、ワインに合いそう、
という台詞にやれやれ、と肩をすくめ、自分の部屋へ行こうと踵(きびす)を返す。
すると、背後から再び姉の声。

「ああ、そうそう。さっきあんたを訪ねてお客さん来たわよ」
「客?」
「ガッコの友達だって。女の子。借りてたレポート用の資料返しに来たって」

 ほらそこ、と姉が示すテーブルの上を見れば、確かに本が数冊積んである。

「ねえねえ、あの子、あんたとどういう関係?」
姉の声が興味津々、という感じの熱を帯びた。

「可愛い子じゃない。えーと、確か、タカダスズコ、さん、だっけ」
「どういう、って、別に、普通の学校の同級生だけど」
「えー? ほんと?」

 姉はじとっとした横目でこちらを見やる。実に楽しそうだ。

「あんな可愛い子前にして、
 指をくわえて見てるような草食男子に育てた覚えはありませんよ?」
「だから、おまえに育てられた覚えはない、っつーの」
「ただの同級生ねえ。あんたはそうでも、向こうは違うかもよ?
 いくらレポートに必要な資料だからって、わざわざ家に訪ねてきたりする?」
「さあ。なにかのついでか、親切なんだろ」
「またまたー。モテる男は違うねえ」
「だから、そんなんじゃないって」
「でも、まあ、あんたには陽奈ちゃんがいるか」

 姉は納得したように一つ頷くと、再び鍋に菜箸を突っ込んだ。

「陽奈もそんなんじゃないのは知ってるだろ? 単なる幼なじみってだけで」
「まあ、陽奈ちゃんとはつきあい長いしねえ。幼稚園のときから一緒だっけ?
 そろそろ飽きてもおかしくない頃だとは思うけど、二股はいかんよ、二股は」
「勝手に言ってろ」

姉がこちらをオモチャにして遊んでいるだけなのはわかっている。
肩をすくめて会話を打ち切ると、立ち去りがてらにテーブルの本を取り上げ、台所を後にした。  


部屋に戻って、本に目を落とす。

高田がどういうつもりでこの本をわざわざ届けに来たのか---------
深く考えると、なにかが変わりそうな気がして、
慌てて書棚の上の方へと本を押し込んだ。


我ながら、不甲斐ないというか、ヘタレなのはわかってます。たぶん。


「商売繁盛、笹もって来ーい!」

威勢のいいかけ声と共に、小判や鯛などの吉兆を賑々しく飾り付けられた福笹が振られる。
しかし、賑やかなのも福笹を扱う授与所の周辺だけだ。
降り出した雨が、餅撒きに集まった善男善女の快活さを奪い取る。

今日は一月十日、恵比寿神社の初えびすだ。
もうじき、二時になれば、石段の上の社殿の向拝から餅が撒かれる。
福餅で、食べれば福がつくというので、
試験勉強追い込み中の兄のために絶対に取ってこいと母から厳命が下りた。
それでこうして、大勢の震える人々とともに刻限が訪れるのを待っているというわけだ。

寒いし、濡れるし、傘は持ってないし、
すぐに帰りたいのはやまやまだが、我が家では母の命令は絶対だ。
兄だって、神仏にすがるような可愛げがあるとも思えないが、
鰯の頭も信心、という言葉もあることだし、一つくらいは持って帰ろう。
少しは恩を売れるかもしれないし。

雨を避けるため、手水舎の軒下も社務所の軒下も人でいっぱいだ。
更に次から次へと押しかけてくる。
人のよさげなお婆さんに場所を譲り、曇天の下へと出たものの、
雨はさらに激しさを増し、氷の粒が混じった霙と化してゆく。
こんなことなら傘を持ってくればよかった、と後悔しても後の祭りだ。

拝殿にはまだ人の姿は見えない。
餅撒きが始まるまでまだしばらくあるらしい。
たまらず、拝殿の脇にある八幡様だかお稲荷さんだかの分社の方へと向かう。
そちらで、餅撒きがはじまるまで軒を借りよう。


脇道へ一歩入ると、いきなり人の姿が少なくなった。坂道だからだろうか。
山に抱かれた神社らしく、緑の香りが強くなる。
黒にすらみえる杉の林に、雪と変わりつつある雨が白く映えて美しい。
水墨画を見ているようだ。
ただでこれだけの名画を見られるなんて、得した気分になる。

ふと、前方になにか動く影があった。
どうやら自分と同様、雨宿りしにきた先客がいるらしい。
近づいて、その輪郭がはっきりするにつれ、思わず目を瞠った。


「…………鈴子?」


見間違えるはずがない。
顎で切りそろえられた艶やかな髪、青白いほど白い肌、
灰色にも見える不思議な色の大きな瞳-------あんな容姿を持つ少女は他にいない。

「ちょっと待ってくれ、おまえ、なんでこんなとこにいるんだ!?」
思わず大きな声が出た。
驚いたように、鈴子がびくり、と身をすくめる。
しかし、驚きのあまり言葉が止まらなかった。
「病気だったんだろ? ずっと寝込んでて、学校も休んでるのに? どうして、こんな……」

すると鈴子は、黙って微笑むと、じっとこちらを見た。
彼女と会うといつも感じる、思わず吸い込まれそうになるような瞳で。

「……鈴……」

一歩近づこうとしたそのとき。
背後で、わあっ、と華やいだ歓声が沸き起こった。
どうやら驚いている間に餅撒きが始まってしまったらしい。
反射的に振り返り、それではだめだ、とすぐに思い直す。
「おまえも餅撒きに来たんだろ? 早く行こ-------」
そう言いながら前方に視線を転じると、すでに少女の姿はそこにはなかった。


「……鈴子……?」


まるで夢でも見ていたかのように、見事に綺麗さっぱり、気配が消えている。
慌てて辺りを見回す。すると、視界の隅、山の斜面に一瞬、なにかが横切った。

銀に光るしなやかな毛並み。


ああ、そうか。


分社の小さな祠を眺める。
立てかけられている赤い小さな幟。確かここは、稲荷神社だ。


代わりに来たんだな。


山に向かって一礼する。
雨は、いつの間にか、雪に変わっていた。


居間の中央にでん、と置かれたこたつの上には、
お節の煮物を作った根菜の残りでこしらえたらしいきんぴら、
出汁を取った後の昆布の切れ端を刻んで数の子と和えた松前漬けもどき、
田作りを混ぜた卵焼き、というつまみと、徳利(とっくり)に猪口(ちょこ)。
籠に盛られたミカンはこたつにかかせないお約束なのだそうだ。

そして、こたつぶとんに深々と埋まり、肩から半纏を羽織って猪口をくいくいと呷る女が、
姉の礼香(あやか)だ。


「あー、レイ、おかえり」

外套を脱いでハンガーに掛けていると、ほろ酔いのご機嫌な声がかかる。

「外、雨?」
「いや、ぽつぽつと雪になってきた」
「うっわー、やだなー。積もったら明日車出すの面倒じゃん。仕事始めだっつーのに」
「雪かきすりゃすむことじゃん」
「やーよ、冷たいのに。……あんたやって」
「断る」
「だってあんた、今日だってバイトだったんでしょ? 
 働くの好き外出るの好き寒いの苦にならないんでしょ? 
 だったら雪かきぴったりじゃん。やっぱり向いてる人がやらないとね、適材適所」


姉の言うことにつきあっていたら、どこへ流されるかわからない。
まるっと無視してこたつに入る。


「明日から仕事って、八日スタート? 普通五日からじゃないの?」
「あたしの仕事は明日からでーす。松の内の間に仕事はいたしませーん」

どこぞのドラマの台詞をぱくって、姉は猪口を呷る。

「大学の研究助手っていい身分だなー」
「薄給激務なんだから。有給ぐらいちゃんと消化しないとやってらんないわよー。
 だいたい、松の内はまだ神様が留まってくださってる時期なんだから、
 ありがたく敬ってお奉りしないと。ほら、お清めお清め」


こと酒に関して姉はザル、底なし、ウワバミだ。
種類も問わない。その場のつまみにあえばそれでいいらしい。
本日は当然、屠蘇代わりに買った日本酒だ。
さすがに一升瓶からとっくりに移し替えて呑んでいるのは、
酔っ払いのオヤジめいた姉に遺された最後の品格か。


「一月は正月で酒が飲める、か。
 お清めなんて言って飲んでたら神様が泣くぞ」
「何言ってんの。古来、神様はお酒が大好きなのよ? 
 日本最古の神社で三重県にある大神(おおみわ)神社って知ってる? 
 ご神体が三輪山で本殿を持たないっていうぞくぞくするような神社なんだけど」

ちなみに姉の所属する研究室は人類学部民俗学科である。
そして酒が入ると話が長い。

「三輪山の元々の名前は三諸(みむろ)山、
 三諸っていうのは実醪(みむろ)------『酒の素』っていう意味で、
 つまり酒が生み出される山、っていうことなのね。
 それというのも崇神天皇の時代、大物主の神からお告げがあって------」
 
そして酒が入ると話が回りくどい。

「はいはい、神様に奉納するつもりで呑んでるって言いたい訳ね」
「わかりゃーいーのよ、わかりゃー」

姉はくいくいと猪口を空にしては手酌で徳利を傾ける。
手つきが堂に入っているのが妙齢の女としてどうかと思うが、
口にすると皿が飛んできそうなので止めておく。 

「それにねー、賢人たちだって酒に遊んでは哲学を語ってたし、
 詩人だって酒をたしなむ間に詩を百篇読んじゃったりしたのよ?」

そして酒が入ると話が脈絡なく飛ぶ。
今度は中国古典らしい。竹林の七賢人と三大詩人ですか。

「『飲中八仙歌』? 李白は酒仙って言われてたんだっけ?」
「長江で観月の船遊び中、水面に映った月を取ろうとして溺れ死んだらしいけどねー。
 ま、詩人としても酒飲みとしてもハマりすぎな最期よね」

あら、もうない、と呟きながら姉は徳利を振る。


「……結局、月、取れたのかしら」
「水鏡だろ? 取れるわけが------」
「だって仙人よー? 霞食って生きてる人たちよー?」
「酒仙ってそれは、あだ名というか喩えだろ?」
「そうかな?」
姉はにやり、と人を食ったような笑みを浮かべた。

なぜか姉のこの表情を見るたびに、『不思議の国のアリス』のチェシャ猫を思い出す。

「仙人、本当にいるかもよ?」
「なら一度会ってみたいもんだ」
「じゃあ、これ」
姉は空だと言っていた徳利をぐい、と差し出した。

「なにそれ」
「鈍いわね、空の徳利差し出されたら、中身詰めてこい、って意味でしょう?」

そして酒が入ると果てしなく我が儘になる。
悲しいかな、逆らってもろくなことはないと、長年の経験でわかっている。

「一升瓶は台所の冷蔵庫の脇ねー。燗はつけなくていいからねー」

酔っ払いの戯言に背を向け、台所へと向かう。
更に背中に叫び声が追い打ちを。

「あ、酒注ぐ前に、ちゃんと中が空がどうか確認してねー」
「おまえさっき振ってたろーが」
「いいから! ちゃんと中覗くのよ!」

徳利の中を覗いても、暗くてなにも見えないと思いますがお姉さま、
そう思ったものの、なんとなく形ばかりに徳利の口から中をのぞきこむ。


その瞬間。


すうっと身体が吸い込まれる感覚。
辺りがふわりと暖かくなって、どこからか琴の音が聞こえた気がした。
甘い花の香りと、青空と、辺り一面を覆い尽くす雪のように白い花をつけた木々。
その下に、不思議な衣装を着た老人と、天女のような少女たちが楽しげに笑いさざめいている。
どうやら、酒盛りをしているようだ。
老人がこちらを向いた。先ほどの姉のような表情で、手にした杯を差し出してみせる。
目を見張った次の一瞬。


「ねー、早くしてよー」

その声に、はっと我に返った。
気づけば、徳利を手にしたまま、ぼうっと台所の真ん中に突っ立っている。


なんだ、今のは。


改めて徳利をのぞきこむが、黒々とした闇の向こうはなにも見えない。
幻か? いや、壺の中の別世界と仙人といえば……。


「壺中天、か」


どうやら、仙人はこんな身近にも出没するらしい。
さすが松の内。さすが神酒。いろいろと不思議が起こる。
 
 
徳利に酒を満たし、居間に戻ると、姉はこたつに突っ伏したまま眠っていた。

思ったより遅くなってしまった。


まだ五時を回ったばかりだというのに、雲が低く垂れ込めた冬空はすでに暗い。
だが地上は、街灯や店の窓から漏れる光が道脇に積まれた雪に反射し、妙にほの白い。
自動車の轍(わだち)の形に雪が剥げ、アスファルトがところどころ顔をのぞかせている、
その部分を選んで、ぽてぽてと家路を急ぐ。

ぽつぽつと時折顔に当たる冷たい粒は、雨かそれともみぞれか。
雪が緩んだ足下は、溶けかけたシャーベットのように水気を含んでべしょべしょしている。


ふと、背後から似たようなべしょべしょという音が聞こえた。
誰かが自分の背後を歩いているらしい。それも、似たような速度で。

ずっと後をつけて来られるのは、正直あまり気分のいいものではない。
わざと足取りをのろくする。追い抜いて先に行ってほしい。

ところが。
いつまでたっても、後ろから誰かが追い越していく様子がない。
しかし、足音は相変わらず聞こえている。べしょべしょ、べしょべしょ、と溶けた雪を蹴る音が。

不審者か? 嫌がらせだろうか?
道の両側はすぐに人家だし、まだ時間が早いこともあって、それほど怖いとは思わなかった。
いざとなれば大声を上げて明かりのついている家に飛び込めばいい。
恐怖よりも不快感のほうがまさって、無表情で振り返り背後を見つめた。


誰もいない。


え、と虚を突かれてまじまじと辺りを見回すも、どこにも人の姿はない。
かといって、とっさに隠れたような気配もしなかった。
気のせいだったのだろうか、と首をひねりながらも前に向きなおると。


じゃりじゃり、べしょべしょ。

やはり、聞こえる。

振り返ると、そこには白々としたみぞれに覆われた道があるばかり。



あー、これはあれかな。
出会うのは初めてだけれど。
びしゃが憑いた、かな。

前を向いたまま、口の中で小さくつぶやく。
「びしゃびしゃさん、びしゃびしゃさん、お先にどうぞ」
そう言って道の端に寄る。と、誰の姿もないのに。

べしょべしょ、びしゃびしゃ、という足音だけが、目の前を通り過ぎていった。

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