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居間の中央にでん、と置かれたこたつの上には、
お節の煮物を作った根菜の残りでこしらえたらしいきんぴら、
出汁を取った後の昆布の切れ端を刻んで数の子と和えた松前漬けもどき、
田作りを混ぜた卵焼き、というつまみと、徳利(とっくり)に猪口(ちょこ)。
籠に盛られたミカンはこたつにかかせないお約束なのだそうだ。

そして、こたつぶとんに深々と埋まり、肩から半纏を羽織って猪口をくいくいと呷る女が、
姉の礼香(あやか)だ。


「あー、レイ、おかえり」

外套を脱いでハンガーに掛けていると、ほろ酔いのご機嫌な声がかかる。

「外、雨?」
「いや、ぽつぽつと雪になってきた」
「うっわー、やだなー。積もったら明日車出すの面倒じゃん。仕事始めだっつーのに」
「雪かきすりゃすむことじゃん」
「やーよ、冷たいのに。……あんたやって」
「断る」
「だってあんた、今日だってバイトだったんでしょ? 
 働くの好き外出るの好き寒いの苦にならないんでしょ? 
 だったら雪かきぴったりじゃん。やっぱり向いてる人がやらないとね、適材適所」


姉の言うことにつきあっていたら、どこへ流されるかわからない。
まるっと無視してこたつに入る。


「明日から仕事って、八日スタート? 普通五日からじゃないの?」
「あたしの仕事は明日からでーす。松の内の間に仕事はいたしませーん」

どこぞのドラマの台詞をぱくって、姉は猪口を呷る。

「大学の研究助手っていい身分だなー」
「薄給激務なんだから。有給ぐらいちゃんと消化しないとやってらんないわよー。
 だいたい、松の内はまだ神様が留まってくださってる時期なんだから、
 ありがたく敬ってお奉りしないと。ほら、お清めお清め」


こと酒に関して姉はザル、底なし、ウワバミだ。
種類も問わない。その場のつまみにあえばそれでいいらしい。
本日は当然、屠蘇代わりに買った日本酒だ。
さすがに一升瓶からとっくりに移し替えて呑んでいるのは、
酔っ払いのオヤジめいた姉に遺された最後の品格か。


「一月は正月で酒が飲める、か。
 お清めなんて言って飲んでたら神様が泣くぞ」
「何言ってんの。古来、神様はお酒が大好きなのよ? 
 日本最古の神社で三重県にある大神(おおみわ)神社って知ってる? 
 ご神体が三輪山で本殿を持たないっていうぞくぞくするような神社なんだけど」

ちなみに姉の所属する研究室は人類学部民俗学科である。
そして酒が入ると話が長い。

「三輪山の元々の名前は三諸(みむろ)山、
 三諸っていうのは実醪(みむろ)------『酒の素』っていう意味で、
 つまり酒が生み出される山、っていうことなのね。
 それというのも崇神天皇の時代、大物主の神からお告げがあって------」
 
そして酒が入ると話が回りくどい。

「はいはい、神様に奉納するつもりで呑んでるって言いたい訳ね」
「わかりゃーいーのよ、わかりゃー」

姉はくいくいと猪口を空にしては手酌で徳利を傾ける。
手つきが堂に入っているのが妙齢の女としてどうかと思うが、
口にすると皿が飛んできそうなので止めておく。 

「それにねー、賢人たちだって酒に遊んでは哲学を語ってたし、
 詩人だって酒をたしなむ間に詩を百篇読んじゃったりしたのよ?」

そして酒が入ると話が脈絡なく飛ぶ。
今度は中国古典らしい。竹林の七賢人と三大詩人ですか。

「『飲中八仙歌』? 李白は酒仙って言われてたんだっけ?」
「長江で観月の船遊び中、水面に映った月を取ろうとして溺れ死んだらしいけどねー。
 ま、詩人としても酒飲みとしてもハマりすぎな最期よね」

あら、もうない、と呟きながら姉は徳利を振る。


「……結局、月、取れたのかしら」
「水鏡だろ? 取れるわけが------」
「だって仙人よー? 霞食って生きてる人たちよー?」
「酒仙ってそれは、あだ名というか喩えだろ?」
「そうかな?」
姉はにやり、と人を食ったような笑みを浮かべた。

なぜか姉のこの表情を見るたびに、『不思議の国のアリス』のチェシャ猫を思い出す。

「仙人、本当にいるかもよ?」
「なら一度会ってみたいもんだ」
「じゃあ、これ」
姉は空だと言っていた徳利をぐい、と差し出した。

「なにそれ」
「鈍いわね、空の徳利差し出されたら、中身詰めてこい、って意味でしょう?」

そして酒が入ると果てしなく我が儘になる。
悲しいかな、逆らってもろくなことはないと、長年の経験でわかっている。

「一升瓶は台所の冷蔵庫の脇ねー。燗はつけなくていいからねー」

酔っ払いの戯言に背を向け、台所へと向かう。
更に背中に叫び声が追い打ちを。

「あ、酒注ぐ前に、ちゃんと中が空がどうか確認してねー」
「おまえさっき振ってたろーが」
「いいから! ちゃんと中覗くのよ!」

徳利の中を覗いても、暗くてなにも見えないと思いますがお姉さま、
そう思ったものの、なんとなく形ばかりに徳利の口から中をのぞきこむ。


その瞬間。


すうっと身体が吸い込まれる感覚。
辺りがふわりと暖かくなって、どこからか琴の音が聞こえた気がした。
甘い花の香りと、青空と、辺り一面を覆い尽くす雪のように白い花をつけた木々。
その下に、不思議な衣装を着た老人と、天女のような少女たちが楽しげに笑いさざめいている。
どうやら、酒盛りをしているようだ。
老人がこちらを向いた。先ほどの姉のような表情で、手にした杯を差し出してみせる。
目を見張った次の一瞬。


「ねー、早くしてよー」

その声に、はっと我に返った。
気づけば、徳利を手にしたまま、ぼうっと台所の真ん中に突っ立っている。


なんだ、今のは。


改めて徳利をのぞきこむが、黒々とした闇の向こうはなにも見えない。
幻か? いや、壺の中の別世界と仙人といえば……。


「壺中天、か」


どうやら、仙人はこんな身近にも出没するらしい。
さすが松の内。さすが神酒。いろいろと不思議が起こる。
 
 
徳利に酒を満たし、居間に戻ると、姉はこたつに突っ伏したまま眠っていた。

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